はじめに—なぜ今、霊体験を語るのか
僧侶として活動する中で、私は数え切れないほどの「説明のつかない出来事」に遭遇してきました。
これまで、あえて口にすることを避けてきました。誤解を招くかもしれない、恐怖だけを煽ってしまうかもしれない—そんな懸念があったからです。
しかし、最近こう思うようになりました。
目に見えない世界の体験を共有することは、人々に恐怖を与えるためではなく、むしろこの世とあの世のつながりを感じ、ご先祖様や故人への感謝の心を深めていただくためになるのではないか、と。
科学がすべてを解明したわけではありません。むしろ、解明できていないことの方が圧倒的に多いのです。
もしこの話を読んで、「もしかしたら、目に見えない世界は本当にあるのかもしれない」と少しでも感じていただけたなら、どうか神仏やご先祖様への感謝の気持ちを、日々の暮らしの中で大切にしてください。
電子時計が1月1日を示した夜
ある日のこと。
ご依頼者様から、お墓じまいに伴い、一時的にご遺骨をお預かりすることになりました。数日後に高野山へ永代供養に持っていくまでの、ほんの数日間のことです。
「せっかく我が家にお越しいただいたのだから」
そう思い、まずはご供養の読経をさせていただこうと、念珠と経本を手に取り、正座して心を整えました。
そして、静かに経を読み始めようとした—その瞬間。
「ピーーーッ」
聞き慣れない電子音が、静寂を切り裂きました。

時が「リセット」された瞬間
なにごとかと音の方向を見ると、それは部屋の隅に置いてある電子時計でした。
普段は何の音も立てない、ただ淡々と時を刻むだけの時計です。
そして—音が鳴り止むと同時に、時計の表示が変わりました。
1月1日 午前0時00分
その日は、もちろん1月1日ではありません。時刻も全く違います。
まるで、時間そのものが「リセット」されたかのように。
私はその瞬間、直感しました。
「この方の魂は、まだこの世に留まっていたのだ」
そして今、読経によって新しい旅立ちの時を迎えようとしている—そんなメッセージを、この電子音と時計の表示を通じて伝えているのではないかと。
1月1日午前0時。それは「始まり」を象徴する時刻です。

静かに、そして確かに
私は深く息を吸い、そのまま丁寧に読経を続けました。
お経の一文字一文字に心を込め、故人の魂が安らかに成仏できるよう祈りを捧げました。
そして、読経が終わり、しばらくして—
再び、あの音が響きました。
「ピーッ」
時計を見ると、今度は時刻が正常に戻っていました。
まるで、「ありがとう」と言うように。
まるで、「もう大丈夫です」と告げるように。
魂が、静かに旅立っていったのを感じました。
私たちが学ぶべきこと
この出来事から、私は改めて気づかされました。
供養とは、形式ではなく「心」であるということを。
そして、私たちの目には見えなくても、故人の魂は確かに存在し、私たちの祈りや想いを感じ取っているのだということを。
こうした不思議な体験は、実は僧侶の間では決して珍しいことではありません。
- ろうそくの炎が突然大きく揺れる
- 読経中に扉が静かに開く
- 線香の煙が特定の方向にだけ流れる
これらはすべて、偶然で片付けることもできます。
しかし、その「偶然」の中に、私たちは故人からのメッセージを感じ取ることができるのです。
あなたにできること
もし、あなたが今、亡くなった方を想っているなら。
もし、ご先祖様に感謝の気持ちを伝えたいと思っているなら。
難しいことをする必要はありません。
- 仏壇に手を合わせる
- お墓参りに行く
- 心の中で「ありがとう」と伝える
それだけで十分です。
大切なのは、形ではなく、あなたの心なのですから。
ですが、もしできるのならば
ちゃんとした僧侶の読経も届けてあげてほしいと思います。
目に見えない世界は、確かに存在します。
そして、その世界とこの世界は、決して断絶しているわけではありません。
あなたの祈りは、きっと届いています。
おわりに
これからも、私が体験した不思議な出来事を、少しずつ皆様に共有していきたいと思います。
それは決して、怖がらせるためではありません。
目に見えない世界への畏敬の念と、ご先祖様や故人への感謝の心を、日々の暮らしの中で育んでいただくためです。
もし、この話があなたの心に何か響くものがあったなら、今日、
故人やご先祖様に、心の中で手を合わせてみてください。
きっと、あなたの想いは届いているはずです。
合掌


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