もし街中で「あばら骨が浮き出て、目がくぼんで、お腹と背中がくっついているミイラみたいな人」が座っていたら、あなたはどう思いますか?
きっと「怖い」と感じて、すぐに救急車を呼んでしまうでしょう。
実は、それが30代前半のお釈迦様の姿だったのです。
「えっ!あんなにキラキラしていた王子様が!?」
そう驚かれるのも無理はありません。前回の記事で描いた、地位も名誉も愛する家族も持っていた超ハイスペック王子・シッダールタ。その彼が、「苦しみからの解放」を求めて、自分をミイラにするほどの過激な修行に身を投じていたのです。
今回は、お釈迦様が挑んだ壮絶な6年間の苦行、その挫折と気づき、そして人類初の「ブッダ(目覚めた人)」となるまでの物語をお話しします。
そしてご安心ください。お釈迦様の教えを学ぶ私たちは、そんな苦行をする必要はありません。「え、仏教を学ぶって辛い修行が必要なの?」なんて心配には及びませんよ。むしろ、お釈迦様ご自身が「苦行では悟れない」と結論づけたからこそ、私たちは別の道を歩めるのです。
この記事でわかること
- お釈迦様が最初に師事した二人の「瞑想のマスター」との出会いと決別
- 当時のインドで苦行が重視されていた歴史的・思想的背景
- 6年間にわたる壮絶な苦行の具体的な内容(経典に基づく詳細)
- 世界的に有名な「苦行釈迦像」の紹介
- 村娘スジャータの乳粥と、仏教の重要概念「中道」の誕生
- 悪魔マーラとの心理戦と「降魔印」の意味
- 12月8日「成道会」—お釈迦様が悟りを開いた日
- 今週の宿題:お釈迦様の「空腹」を体験するワーク

王道の瞑想スクールへ—二人の師匠との出会い
29歳でお城を飛び出したシッダールタ王子。彼は「なぜ人は老い、病み、死ぬのか」という、当時の科学や哲学では絶対に解けなかった根本的な苦しみに対する答えを求めて旅に出ました。
では、城を出た直後、彼はまず何を始めたのでしょうか?
いきなり一人で山に籠もったわけではありません。
まずは、当時のインドで「これこそが最高の精神修行だ」と言われていた、有名な瞑想の師匠たちの門を叩いたのです。いわば「王道のスクール」に入学したわけですね。
現代で例えるなら、起業を志す若者がまずMBA(経営学修士)を取得しようとするようなものでしょうか。あるいは、料理人を目指す人がまず一流レストランで修業するようなものです。まずは「その道のプロ」に学ぶ—これは今も昔も変わらない、賢明なアプローチです。
第一の師匠:アーラーラ・カーラーマ
シッダールタが最初に訪ねたのは、アーラーラ・カーラーマという先生でした。
この人物は、当時のインドで最も優れた瞑想の達人の一人として知られていました。今で言うなら、世界トップクラスのマインドフルネス・コーチ、あるいはヨガの最高権威のような存在です。弟子は300人いたとも言われています。
そこでシッダールタが教わったのは、「無所有処(むしょうしょ)」という境地でした。
これは「何も所有していない」「何もない」という状態を心の中に完璧に作り上げる瞑想法です。私たちは普段、「これは私のもの」「あれが欲しい」と、常に何かを所有しようとしています。その執着を完全に手放し、心を空っぽにするトレーニングです。
これは、普通の人なら一生かけても辿り着けないレベルの修行です。
ところが、シッダールタは天才でした。パーリ経典『中部経典』によると、彼は驚くほど短期間でこの境地をマスターしてしまったのです。
先生のアーラーラ・カーラーマは腰を抜かすほど驚きました。そして、こう申し出たのです。
「君に教えることはもう何もない。今日から私と並んで、この教団を一緒に導いてくれないか」
これは、現代で言えば「入社してすぐに役員に抜擢される」ようなものです。普通なら飛び上がって喜ぶところでしょう。
しかし、シッダールタはこう断りました。
「いいえ、先生。この教えは、老い・病・死を超える道ではありません。私が求めているものは、ここにはないのです」
第二の師匠:ウッダカ・ラーマプッタ
アーラーラ・カーラーマのもとを去ったシッダールタは、次にウッダカ・ラーマプッタという師匠のもとを訪ねました。
この人物は、アーラーラ・カーラーマよりもさらに高度な瞑想を教えていました。弟子は700人いたとされ、当時のインドでは最高峰の瞑想指導者の一人でした。
ここでシッダールタが学んだのは、「非想非非想処(ひそうひひそうしょ)」という境地です。
これは「想いがあるのでもなく、想いがないのでもない」という、言葉では説明しがたい超越的な意識状態です。「意識があるとも言えないし、ないとも言えない」—まるで禅問答のようですが、これは瞑想の最高到達点の一つとされていました。
現代の言葉で例えるなら、「深い眠りと覚醒の境目」「夢を見ていることに気づいている夢(明晰夢)」のような状態かもしれません。自分という意識がほとんど溶けてなくなるような体験です。
シッダールタは、この境地もまた短期間で習得してしまいました。
ウッダカ・ラーマプッタも驚愕し、同じように「一緒に教団を導いてほしい」と申し出ました。
しかし、シッダールタの答えは同じでした。
「これでも、まだ足りないのです」
「一時的な安らぎ」では足りなかった理由
なぜシッダールタは、業界トップになれるチャンスを二度も蹴ったのでしょうか?
彼が求めていたのは、瞑想中の「一時的な安らぎ」ではなかったのです。
確かに、深い瞑想に入っている間は、心が静まります。苦しみも恐怖も感じません。まるで麻酔をかけられたかのように、すべてが穏やかになります。
しかし、問題がありました。
瞑想を解いて、日常に戻った瞬間—また「死の恐怖」や「老いの虚しさ」が襲ってくるのです。
これは、現代の私たちにも分かる感覚ではないでしょうか。
例えば、旅行に行っている間は嫌なことを忘れられます。映画を観ている間は現実から逃避できます。お酒を飲んでいる間は気分が楽になります。
でも、旅行から帰れば、映画が終われば、酔いが覚めれば—また同じ問題が待っています。根本的な解決にはなっていないのです。
シッダールタが求めていたのは、そういう「一時的な麻酔」ではありませんでした。
瞑想していてもしていなくても、日常生活のど真ん中でも、老い・病・死に直面しても—決して揺らがない、本当の心の平安。
それを見つけるまで、彼は止まるつもりがなかったのです。
既存のメソッドでは、シッダールタの求める答えは見つかりませんでした。
だから彼は、誰もやっていない、もっと身体にダイレクトな苦痛を与える道—「苦行」という名の茨の道へと足を踏み入れることになります。
なぜ古代インドで「苦行」が重視されていたのか
ここで少し、当時のインドの思想的背景についてお話ししましょう。
「なぜ、わざわざ自分を痛めつけるのか?」—現代の私たちからすると、苦行は理解しがたい行為に思えます。しかし、当時のインドには、苦行を正当化する深い思想的な根拠がありました。
「肉体は魂の牢獄」という考え方
古代インドでは、「肉体は魂(アートマン)を閉じ込める汚れた牢獄だ」という考え方が広く信じられていました。
この考え方によると、私たちの本質である「魂」は、もともと清らかで自由なものです。しかし、肉体という「檻」に閉じ込められているために、その本来の輝きを発揮できずにいる。
だから、檻である肉体を徹底的に痛めつけて弱らせれば、中から魂がパカッと解放される—そう信じられていたのです。
これは、現代の感覚では「根性論の究極版」とも言えるでしょう。「苦しめば苦しむほど、精神は強くなる」「楽をしていたら成長しない」という発想の、極端な形です。
ジャイナ教の影響
この苦行思想を最も徹底的に実践していたのが、ジャイナ教です。
ジャイナ教は、お釈迦様とほぼ同時代に活動したマハーヴィーラという人物が開いた宗教です(正確には、マハーヴィーラは第24代の祖師とされています)。
ジャイナ教では、「カルマ(業)は物質的な粒子であり、それが魂にくっついて汚している」と考えます。この汚れを落とすためには、苦行によって過去のカルマを燃やし尽くす必要がある—というのが、彼らの論理でした。
ジャイナ教の修行者たちは、今日に至るまで厳しい苦行を実践しています。中には断食によって自らの命を終える「サッレーカナー」という修行もあり、これは「尊厳ある死」として尊重されています。
シッダールタが行った苦行の多くは、このジャイナ教の影響を受けていたと考えられています。
ウパニシャッド哲学の背景
また、古代インドの哲学書であるウパニシャッドにも、苦行を重視する思想が見られます。
ウパニシャッドでは、「真の自己(アートマン)」と「宇宙の根本原理(ブラフマン)」は本来一つであり、その合一を悟ることが人生の究極の目的とされました。
その悟りに至るための方法として、感覚を制御し、欲望を断ち、肉体を超越することが推奨されていました。苦行は、その手段の一つだったのです。
当時の「常識」に挑戦したシッダールタ
つまり、シッダールタが苦行に挑んだのは、当時の「常識」に従ったとも言えます。
「悟りを得たいなら、苦行をするのが当たり前」—これが、2500年前のインドにおける修行者たちの共通認識でした。
しかし、シッダールタはやがて、この「常識」そのものが間違っていたことに気づくことになります。
それが仏教の革新性であり、世界の宗教史における大きな転換点となったのです。
6年間の「地獄の苦行」—経典に記された壮絶な内容
では、シッダールタが実際に行った苦行は、どのようなものだったのでしょうか。
パーリ経典『中部経典』の「大サッチャカ経」や「マハーシーハナーダ・スッタ(獅子吼大経)」には、お釈迦様自身が後に振り返って語った苦行の詳細が記録されています。
その内容は、現代人の想像をはるかに超える壮絶なものでした。
止息行(しそくぎょう)—呼吸を止めて死の淵へ
まず「止息行」という苦行があります。これは呼吸を極限まで止める修行です。
お釈迦様は後にこう語っています(『中部経典』第36経より意訳)。
「私は歯を食いしばり、舌を上あごに押し付け、心を抑え込み、呼吸を止めた。すると、耳の中で激しい風が吹き荒れるような轟音が響いた」
「さらに呼吸を止め続けると、頭を鋭い剣でグサグサと刺されるような激痛が走った。頭を硬い革紐できつく締め上げられるような苦しみを感じた」
「さらに続けると、腹を熟練の肉屋がナイフで切り裂くような痛みが走った。体が業火の中に投げ込まれたかのように熱くなった」
これを毎日、何セットも繰り返したのです。
現代の医学から見れば、これは脳への酸素供給を遮断する極めて危険な行為です。意識障害、脳細胞の損傷、最悪の場合は死亡につながりかねません。
断食(だんじき)—お腹を触ると背骨に届く
次に「断食」です。これが最も過激な苦行でした。
お釈迦様は段階的に食事を減らしていきました。最初は一日に一握りの食事。やがて一日に緑豆のスープ一杯。さらに一日にゴマ一粒、米一粒……。
最終的には、ほとんど何も口にしない状態になりました。
お釈迦様は、その時の自分の姿をこう描写しています(『中部経典』第36経より意訳)。
「私の手足は、枯れた葦の節のようになった」
「私の背骨は、数珠のように一つ一つの骨が浮き出た」
「私の肋骨は、古い小屋のむき出しの垂木のようだった」
「私の目は、深い井戸の底で光る水面のように、頭蓋骨の奥深くに沈んでいた」
「私の頭皮をなでると、腐った根元から髪の毛がボロボロと抜け落ちた」
「私のお腹の皮を前から触ると、背骨に触れた。背骨を触ろうとすると、お腹の皮に触れた」
これは現代医学で言う重度の栄養失調、飢餓状態です。内臓機能は低下し、筋肉は溶け、骨と皮だけの状態になっていたのです。
現代なら即入院、というか事件レベルの状態です。
五火行(ごかぎょう)—五つの火に挟まれて座る
「五火行」という苦行も行いました。
インドの40度を超える灼熱の太陽の下、自分の周り東西南北の四方に大きな焚き火を置き、さらに頭上には太陽の熱。合計五つの「火」に挟まれて座り続けるのです。
汗は枯れ果て、皮膚は焼けただれ、意識は遠のいていく—それでも座り続ける。
これは熱中症、脱水症状、重度の火傷を引き起こす危険な行為です。
その他の苦行—経典に記された多様な修行
経典には、さらに多くの苦行が記録されています。
墓場での瞑想:死体が放置された墓地で、腐敗していく遺体のそばで座禅を組む。時には骨の上に座ることもあった。
糞掃衣(ふんぞうえ)の着用:捨てられたぼろ布、時には死体を包んでいた布を拾い集めて衣服にする。
立ち続ける行:決して座らず、決して横にならず、ただ立ち続ける。
不臥行(ふがぎょう):横になって眠ることを禁じ、座ったまま、あるいは立ったまま仮眠を取る。
刺のある寝床:茨や棘の上で眠る。
汚物を食べる行:牛の糞や尿を食事とする(当時のインドでは、牛は神聖な動物であり、その排泄物にも浄化作用があると信じられていました)。
これらの苦行を、シッダールタは6年間にわたって続けたのです。
5人の修行仲間—五比丘(ごびく)
この壮絶な日々を共に過ごしたのが、5人の修行仲間でした。
彼らの名前は、コンダンニャ(阿若憍陳如)、ヴァッパ(婆提)、バッディヤ(跋提)、マハーナーマ(摩訶男)、アッサジ(阿説示)です。後に「五比丘(ごびく)」として知られることになる人々です。
彼らは元々、シッダールタの父・浄飯王が息子の修行を見守るために派遣した家臣たちでした。しかし、シッダールタの苦行の凄まじさを目の当たりにするうちに、自分たちも修行者となり、彼と共に苦行に励むようになったのです。
彼らは互いに「誰が一番自分を痛めつけられるか」という、ある種の苦行マウントを取り合っていました。
「俺は昨日、一粒も食べなかった」「私は三日間、水も飲んでいない」—そんな競争が、日常的に行われていたのかもしれません。
しかし、これは「悟るため」というより、ただの「不幸自慢」や「我慢比べ」になっていなかったでしょうか?
そう、シッダールタ自身も、ついにその結論に辿り着くのです。
苦行釈迦像—ガンダーラ美術が伝える壮絶な姿
お釈迦様の苦行時代の姿を、私たちは「苦行釈迦像」という彫刻で見ることができます。
最も有名なのは、パキスタンのラホール博物館に所蔵されている像です。2〜3世紀頃、ガンダーラ地方(現在のパキスタン北西部からアフガニスタン東部)で制作されたものです。この像を見ると、経典の描写がいかに正確だったかがわかります。

※写真はイメージです
あばら骨が一本一本浮き出た胸郭。くぼんだ頬と眼窩。棒のように細くなった腕。血管が浮き出た首筋。
それでも、その目には穏やかな光が宿り、瞑想の姿勢は崩れていません。
この像は、お釈迦様が「どれほどの苦しみを経験したか」を、言葉よりも雄弁に物語っています。そして同時に、「これほどの苦行をしても、悟りには至れなかった」という事実の重みを、私たちに伝えているのです。
ガンダーラ美術は、アレクサンドロス大王の東征以降、ギリシャ美術の影響を受けて発展しました。そのため、苦行釈迦像にはギリシャ彫刻のリアリズムが色濃く反映されており、人体の細部まで写実的に表現されています。
もし機会があれば、ぜひ画像を検索してみてください。2500年前の物語が、突然リアルに感じられるはずです。
倒れて気づいた真実—「これは間違っている」
ある日、シッダールタは修行中に極度の栄養失調で意識を失い、倒れてしまいました。
死の淵を彷徨いながら、彼の心にふと、ある思いが浮かんだのです。
「私は世界で一番激しい苦行をした。これ以上の苦行は、誰にもできないだろう」
「でも……真理は1ミリも見えてこない」
「ただ体がボロボロになっただけだ」
「これ、やり方が根本的に間違ってるんじゃないか?」
これは、彼にとってものすごい勇気のいる認識でした。
6年間という歳月。その間、食事も睡眠も犠牲にして、命をすり減らしながら続けてきた苦行。それを「間違っていた」と認めることは、自分の努力をすべてドブに捨てるようなものです。
しかも、5人の仲間たちは、今もシッダールタを「苦行のリーダー」として尊敬しています。彼が苦行をやめれば、その信頼を裏切ることになる。
それでも—
シッダールタは、自分の失敗を認める強さを持っていました。
これこそが、彼を「ブッダ」たらしめた資質の一つだったのではないでしょうか。
自分が信じてきたこと、努力してきたことが間違っていたと気づいた時、多くの人は目を背けます。「いや、もう少し続ければうまくいくはずだ」と自分を騙し続けます。
「サンクコスト効果(埋没費用効果)」という心理学用語があります。すでに投資した時間やお金が惜しくて、損だと分かっていてもやめられない心理のことです。
シッダールタは、この罠にはまりませんでした。
6年間の苦行は「失敗」だったのでしょうか?
いいえ、そうとも言い切れません。この6年間があったからこそ、「苦行では悟れない」という確信を得られたのです。もし苦行をしていなければ、「もしかしたら苦行で悟れたかも」という未練が残ったかもしれません。
お釈迦様をお釈迦様たらしめるためには、この6年間は絶対に必要な経験だったのです。
尼連禅河での沐浴—6年ぶりの入浴
決意を固めたシッダールタは、ふらふらと立ち上がり、近くのナイランジャナー川へ向かいました。
この川は、日本では「尼連禅河(にれんぜんが)」と呼ばれています。現在のインド・ビハール州を流れるファルグ川(リラジャン川)のことです。
そこで、6年間洗っていなかった体を洗ったのです。
泥と汗と垢で固まった、不潔な体。経典によれば、垢がポロポロと落ちて、川が真っ黒に濁ったと伝えられています。
私も少し似た経験があります。大峰山の奥駈修行で2週間山にこもりっきりだったとき、山から降りて久しぶりにお風呂に入ったら、いくら洗っても体から黒い汚れが出てくるのです。
2週間でそれですから、6年間の汚れは想像を絶します。おそらく一度や二度では落としきれなかったでしょう。
体を洗い、髪を整え、シッダールタは川から上がりました。
しかし、極度の衰弱状態の彼には、もはや立ち上がる力も残っていませんでした。岸辺に倒れ込み、動けなくなってしまったのです。
スジャータの乳粥—運命を変えた一杯
そこを通りかかったのが、セーナー村の娘スジャータでした。
彼女は、近くの大きな樹の中に住む神様への供え物として、「乳粥(ちちがゆ)」を準備していました。そして、木の根元で倒れているシッダールタを見て、最初は樹の神様が姿を現したのだと思ったそうです。
スジャータは、その乳粥を死にかけのシッダールタに差し出しました。
乳粥とは何か—インドのデザート「キール」
スジャータが与えてくれた乳粥(パーヤサ)とは、どのようなものだったのでしょうか。
これは、牛乳でお米をじっくり炊き込み、ハチミツや砂糖、時にはカルダモンやサフランなどのスパイスを加えた甘い粥です。
現代のインドでは「キール」と呼ばれ、お祭りや祝い事に欠かせないデザートとして親しまれています。日本で言えば、おしるこやお赤飯のような「ハレの日の食べ物」です。
経典によっては、この乳粥は「千頭の牛の乳を、順番に凝縮して作った特別なもの」と描写されることもあります。つまり、当時の基準では最高級の栄養食だったのです。
細胞が生き返る瞬間
シッダールタがその乳粥を口に含んだ瞬間—
冷え切って活動を停止していた内臓が、熱を持ち始めました。
脳に糖分が一気に駆け巡りました。
枯れ木のようだった体に、生命力が戻ってきたのです。
現代の医学で言えば、重度の低血糖状態と栄養失調に対して、消化しやすい炭水化物とタンパク質、脂質が補給された状態です。体が「生き返る」感覚は、想像を超えるものだったでしょう。
「スジャータ」という企業名の由来
「スジャータ」という名前、聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
実は、コーヒー用ミルクなどの乳製品を作っている「スジャータめいらくグループ」の社名は、まさにこの村娘スジャータから来ているのです。
同社のホームページにはこう書いてあります。
「『スジャータ』とは修行中にお釈迦様に乳粥を差し上げたインドの娘さんの名前で、それを飲んだお釈迦様は疲労回復されたのち、悟りを開かれたといわれています。スジャータという商品名には、みなさまにコーヒーをよりおいしく召し上がっていただくためのフレッシュでありたいという願いが込められています。」
仏教の影響って、本当に身近な生活の中に入り込んでいるのですね。コンビニで「スジャータ」のコーヒーミルクを見かけたら、ぜひ2500年前の物語を思い出してください。
「中道」の発見—楽器の弦の教え
乳粥を飲み、生気を取り戻したシッダールタの心に、一つの深い気づきが生まれました。
「極端な贅沢も、極端な苦行も、どちらも悟りには繋がらない」
「大事なのは、その間にある道なんだ」
これが、仏教における最も重要な概念の一つ、「中道(ちゅうどう)」の発見です。
琴の弦のたとえ—ソーナ比丘への教え
「中道」を説明する有名なたとえ話があります。
後にお釈迦様は、ソーナという弟子に、こう教えました(『増支部経典』より)。
「ソーナよ、お前は出
Notionに保存
続きを書いて
承知しました。続きを書きます。
「ソーナよ、お前は出家する前、琴の名手だったな」
「はい、その通りです」
「では聞こう。琴の弦を張りすぎると、どうなる?」
「音が甲高くなり、弦が切れてしまいます」
「では、弦を緩めすぎると?」
「音がぼやけて、美しい旋律を奏でることができません」
「その通りだ。弦は、張りすぎても緩めすぎても良い音は出ない。ちょうどよい張り具合の時にだけ、美しい音色が響く。修行もこれと同じなのだ」
これが「中道」の本質です。
極端な快楽主義(弦の緩めすぎ)に走れば、心は怠惰になり、真理を見る目が曇ります。かつての王宮での贅沢な暮らしがそうでした。
極端な苦行主義(弦の張りすぎ)に走れば、心身が消耗し、冷静な思考ができなくなります。6年間の苦行がまさにそうでした。
どちらの極端も避け、バランスの取れた道を歩むこと—これが悟りへの正しいアプローチだと、シッダールタは気づいたのです。
中道は「真ん中」という意味ではない
ここで注意していただきたいのは、「中道」は単に「真ん中を取る」「どっちつかず」という意味ではないということです。
よく「中道」を「どちらにも偏らない、ほどほどの態度」と解釈する人がいます。しかし、それは表面的な理解に過ぎません。
仏教における中道とは、「両極端を超えた、まったく新しい次元の道」を意味します。
例えて言うなら、「熱い」と「冷たい」の中間は「ぬるい」ですが、お釈迦様が発見したのは「ぬるい」ではありません。温度という概念そのものから自由になる道—とでも言いましょうか。
快楽と苦行、どちらかを選ぶのではなく、そのどちらにも縛られない、自由な心のあり方。それが中道の真の意味なのです。
「中道」という言葉を大切にしたい
ちなみに、2025年には「中道」という言葉が政治の文脈でも話題になりました。しかし、本来「中道」は仏教で2500年以上大切にされてきた核心的な概念です。
私としては、この言葉が政治的なイメージだけで語られることには、少し複雑な思いがあります。
「中道」と聞いた時に、政治ではなく、お釈迦様の深い教えを思い出してほしい—そんな願いを込めて、このエピソードをお伝えしています。
中道の思想は、私たちの日常生活にも深く関わっています。仕事に打ち込みすぎて健康を害するのも極端。かといって、何もせずに怠けるのも極端。人生のあらゆる場面で、この「中道」の智慧は活きてくるのです。
中道については、また別の機会にさらに詳しくお話ししますね。
五人の仲間に見捨てられる—「裏切り者」の烙印
さて、シッダールタが苦行をやめ、スジャータから乳粥を受け取った様子を、一緒に修行していた5人の仲間たちはどう見ていたのでしょうか。
彼らの反応は、冷酷そのものでした。
「おい、見ろよ。あのシッダールタの野郎、女から飯をもらってやがる」
「あいつは堕落した。美食に溺れた裏切り者だ!」
「もう俺たちの仲間じゃない。行こうぜ」
そう吐き捨てて、彼らはシッダールタを一人残して去っていったのです。
6年間、死にかけながら共に修行した仲間です。お互いの苦しみを知り尽くした同志です。それなのに、たった一杯の乳粥を飲んだだけで、彼らはシッダールタを見捨てました。
これは、客観的に見れば「ひどい仕打ち」です。
しかし、彼らの気持ちも分からなくはありません。
彼らにとって、苦行こそが「正しい道」でした。その道を信じて、自分たちも命をすり減らしてきたのです。その道を否定されることは、自分たちの人生を否定されることに等しい。
だから、シッダールタの「転向」を受け入れられなかったのでしょう。
人間は、自分が信じてきたものを否定されると、強い反発を覚えます。自分の正しさを守るために、相手を「裏切り者」にしてしまうのです。
これは2500年前も現代も、変わらない人間の心理かもしれませんね。
一人になったシッダールタ
こうして、シッダールタは完全に一人になりました。
王宮を出た時も一人でした。しかし、あの時は「これから仲間を見つけよう」という希望がありました。
今は違います。6年間を共にした仲間に見捨てられ、頼れる師匠もいない。本当の意味での孤独です。
しかし、シッダールタはもう、誰にどう思われようと気にしていませんでした。
彼の心は、これまでになく澄み切っていました。極端な苦行から解放され、適切な栄養を得て、心身のバランスが回復したのです。
彼は一人で、近くにあった大きな菩提樹(ぼだいじゅ)の木の下へと歩いていきました。
そして、人類の歴史を塗り替える「最後の瞑想」に入るのです。
菩提樹の下で—不退転の決意
菩提樹の下に座ったシッダールタは、吉祥草(きっしょうそう)を敷いて座禅の姿勢を取りました。
この吉祥草は、ソッティヤという名の草刈り人からもらったものだと伝えられています。お釈迦様の物語には、スジャータといいソッティヤといい、名もなき人々の小さな親切が重要な場面で登場します。悟りは、決して一人の力だけで得られるものではないのかもしれません。
シッダールタは、大地を叩いてこう誓いました。
「悟りを得るまでは、たとえこの身が枯れ果て、皮膚も骨も腐ろうとも、絶対にこの席を立たない」
これは「不退転の決意」です。
6年間の苦行で培った精神力が、ここで活きています。肉体を痛めつける方向ではなく、心を一点に集中させる方向へと、そのエネルギーが向けられたのです。
悪魔マーラとの心理戦—最後の敵は「自分の心」
シッダールタの凄まじい決意に呼応するかのように、彼の心の中に最後の敵が現れました。
それが「悪魔マーラ」です。
マーラとは何か—「死」を意味する言葉
「マーラ」という言葉は、サンスクリット語で「死」や「殺すもの」を意味します(語根「ムリ(mṛ)」=死ぬ、から派生)。
仏教において、マーラは単なる「悪い鬼」ではありません。人間を悟りから遠ざけ、苦しみの世界(輪廻)に縛り付けておこうとする力の象徴です。
また、マーラは「煩悩(ぼんのう)の擬人化」とも解釈されます。欲望、怒り、恐怖、疑い—私たちの心の中にある、悟りを妨げるあらゆるネガティブな要素が、「マーラ」という姿を取って現れたのです。
ですから、この物語を読む時は、「外部から怪物が襲ってきた」というファンタジーではなく、「シッダールタの心の中で最後の葛藤が起きた」と理解していただくとよいでしょう。
仏教の物語には、時にファンタジー的な要素が登場します。悪魔、天使、神々—現代の感覚では「あり得ない」と思えるかもしれません。
しかし、そこで「こんなの嘘だ」と切り捨ててしまうと、仏教の本当の価値を見逃してしまいます。装飾された物語の奥にある「真意」を読み取ること—それが、仏教を学ぶ上でとても大切な姿勢なのです。
第一の攻撃—欲望の誘惑
マーラはまず、三人の美しい娘を送り込みました。
彼女たちの名は、タンハー(渇愛)、アラティ(不満)、ラガー(貪欲)。まさに人間の欲望を象徴する名前です。
彼女たちはシッダールタに近づき、甘い声でささやきました。
「王子様、もう苦しい修行はおやめになって。お城に戻りましょう。私たちと一緒に、楽しく贅沢に暮らしましょうよ」
これは「欲望による誘惑」です。
かつてのシッダールタなら、心が動いたかもしれません。王宮での華やかな暮らし、美しい妻、可愛い息子—それらへの未練が、まだ心のどこかに残っていたかもしれません。
しかし、6年間の修行を経たシッダールタは、一瞬で彼女たちを退けました。
「肉体の美しさなど、やがて老いて醜く崩れ去るものだ。そのような儚いものに、私の心は動かない」
経典によれば、この言葉を聞いた瞬間、三人の美女はしわくちゃの老婆の姿に変わったと言われています。
これは、「美」への執着を手放した時、その幻想が消え去ることの象徴でしょう。
第二の攻撃—恐怖による威嚇
欲望がダメなら、次は恐怖です。
マーラは大軍勢を率いて、シッダールタに襲いかかりました。
巨大な岩が投げつけられる。燃え盛る炎が放たれる。鋭い矢が雨のように降り注ぐ。
地を揺るがす轟音、空を覆う暗雲、おぞましい怪物たちの咆哮—あらゆる恐怖がシッダールタを包み込みました。
しかし、不思議なことが起きました。
それらの武器がシッダールタに触れる直前、すべてが美しい花びらに変わり、彼の周りに静かに降り注いだのです。
これは「慈悲の力」の象徴です。
怒りや恐怖に対して、同じ怒りや恐怖で応じるのではなく、慈しみの心で受け止める。すると、攻撃はその力を失い、無害なものに変わる。
まるで、怒っている人に対して穏やかに接すると、相手の怒りも静まっていくように。
第三の攻撃—存在の否定
欲望でも恐怖でもダメだったマーラは、最後に最も残酷で効果的な攻撃を仕掛けました。
それは「言葉による否定」です。
「シッダールタよ、お前がここで何を悟ったとしても、それを証明する者は誰もいない」
「お前の6年間の苦しみも、今この瞬間の努力も、全部無意味だ」
「お前はただの孤独な狂人として、誰にも知られずに死んでいくだけだ」
「さあ、この席を立て。お前に悟る資格などない」
これは「存在の否定」「自己価値の否定」です。
肉体への攻撃より、これが一番こたえます。
「お前のやっていることは無意味だ」「誰もお前を認めない」「お前には価値がない」—こうした言葉は、どんな武器よりも鋭く、心を切り裂きます。
私たちも日常生活で、似たような「心の悪魔」と戦っていないでしょうか?
「どうせ自分なんて」「誰も分かってくれない」「努力しても無駄だ」—そんな声が、心の中で響くことはありませんか?
それはまさに、「内なるマーラ」の声なのです。
降魔印(ごうまいん)—「大地が証明する」
マーラの最後の攻撃に対して、シッダールタは静かに応じました。
彼は右手をゆっくりと下ろし、指先で大地に触れました。
そして、こう言ったのです。
「私がここで歩んできた道を、この大地が証明している」
この時の手の形を「降魔印(ごうまいん)」、または「触地印(そくちいん)」と呼びます。
「降魔」とは「魔を降(くだ)す」、つまり悪魔を打ち負かすという意味です。
シッダールタが大地に触れた瞬間、大地が震え、轟音が響き渡ったと伝えられています。地の神が現れ、「この方の修行を私は見てきました」と証言したという伝承もあります。
そして、その瞬間—マーラとその軍勢は、跡形もなく消え去りました。
「印」の意味—密教への架け橋
ちなみに、この「降魔印」のように、仏教では特定の手の形に深い意味があるのです。
仏像を見ると、様々な手の形(印相・いんそう)をしていますよね。
施無畏印(せむいいん):右手を上げて掌を見せる形。「恐れなくてよい」という意味。
与願印(よがんいん):右手を下げて掌を見せる形。「願いを叶えよう」という意味。
定印(じょういん):両手を膝の上で重ねる形。深い瞑想の状態を表す。
これらの印は、単なる「ポーズ」ではありません。その形を取ることで、仏の心に近づくとされています。
特に密教の世界では、印を結ぶことが非常に重視されます。印を結び、真言(マントラ)を唱え、心を仏に集中させる—この三つを合わせて「三密(さんみつ)」と呼びます。
私は真言宗の僧侶ですので、密教の印や真言については、また別の機会に詳しくお話ししますね。
12月8日、明けの明星—人類初の「ブッダ」誕生
悪魔マーラを退けたシッダールタは、そのまま深い瞑想に入りました。
一晩中、彼は座り続けました。
そして、12月8日の明け方—
ふと東の空を見上げると、夜明け前の空に明けの明星(金星)がキラリと輝いていました。
その瞬間、シッダールタの心の中で、すべてのピースがカチッとはまったのです。
「ああ、そうか」
「すべての物事には原因があり、結果がある。何一つ、単独で存在しているものはない」
「自分も世界も、すべては繋がり、変化し、流れている」
「この『つながり』を見ずに、『自分』や『もの』に執着するから、苦しみが生まれるのだ」
「執着を手放せば、心は永遠に自由になれる」
これが「縁起(えんぎ)」の悟りです。
後に仏教の根本思想となるこの洞察を、シッダールタはこの瞬間に得たのです。
このときシッダールタは35歳。
この瞬間、彼は「シッダールタ」ではなくなりました。
人類で最初の「ブッダ(目覚めた人)」が誕生したのです。
なぜ「明けの明星」だったのか
面白いことに、悟りの瞬間に「明けの明星」が関わっているという点は、他の宗教や伝承にも見られるモチーフです。
「明けの明星」は、夜の闘いが終わり、新しい日が始まる象徴です。
シッダールタにとって、それは文字通り、無明(むみょう)の闇が晴れ、智慧の光が差し込んだ瞬間でした。
何千年もの間、人類が答えを見つけられなかった「苦しみの正体」と「その解決法」を、ついに一人の人間が発見したのです。
成道会(じょうどうえ)—12月8日の意味
12月8日という日付に気づいた方もいるかもしれません。
この日は、お釈迦様が悟りを開いた日として、今でも仏教徒に大切にされています。
お寺によっては、この日に「成道会(じょうどうえ)」という法要を行い、お釈迦様の悟りをお祝いします。
「成道」の意味
「成道」という言葉を分解してみましょう。
「成」は「成し遂げる」「完成する」の意味。音読みで「じょう」と読みます。
「道」は、ここでは「悟りの道」「真理」を意味します。
つまり「成道」とは「道を成し遂げた」「悟りを完成させた」という意味です。
「会」を「え」と読む—仏教式の読み方
「成道会」の「会」は、「かい」ではなく「え」と読みます。
これは仏教特有の読み方で、覚えておくと便利です。
お寺で行われる法要には、「会(え)」がつくものがたくさんあります。
灌仏会(かんぶつえ):4月8日、お釈迦様の誕生日を祝う法要。「花祭り」とも呼ばれます。
盂蘭盆会(うらぼんえ):いわゆる「お盆」の法要。ご先祖様を供養します。
涅槃会(ねはんえ):2月15日、お釈迦様が亡くなった日の法要。
彼岸会(ひがんえ):春分・秋分の頃に行われる法要。
こうして見ると、仏教は日本の文化に深く根付いていることがわかりますね。仏教を学ぶことは、日本の伝統行事や習慣を深く理解することにも繋がるのです。
悟った後の意外な展開—まさかの「説法拒否」
悪魔を打ち破り、悟りを得たお釈迦様、35歳。
宇宙の真理を見つけてしまいました。
さて、悟った後のお釈迦様は、すぐに街に出て「みんな!すごいこと発見したよ!」と宣伝したのでしょうか?
いいえ、実は違うのです。
これが仏伝の中でも特に興味深いエピソードなのですが、悟った直後のお釈迦様は、こう考えたと伝えられています。
「私が悟った真理は、あまりにも深遠で、あまりにも微妙だ」
「欲に染まり、闇に覆われた人々には、とても理解できないだろう」
「教えたところで、誰も分かってくれない。徒労に終わるだけだ」
「このまま一人で、静かに余生を過ごそう」
なんと、「教えるのをやめよう」と思ったのです!
6年間、命をすり減らして求め続けた真理。ついに見つけた「苦しみからの解放」の道。それなのに、誰にも教えずに終わらせようとしたのです。
「梵天勧請」—神様のお願い
このとき、梵天(ブラフマー)という神様が現れて、お釈迦様にお願いをしたと伝えられています。
「どうか、教えを説いてください」
「この世には、目に塵がほんの少ししか入っていない人々もいます」
「彼らは、あなたの教えを聞けば、理解できるでしょう」
「教えを聞かなければ、彼らは道に迷ったままです」
「どうか、慈悲の心をもって、法を説いてください」
この場面を「梵天勧請(ぼんてんかんじょう)」と呼びます。
「勧請」とは「お願いして来ていただく」という意味です。最高神ブラフマーですら、お釈迦様に「お願い」しなければならなかった—それほど、悟りを開いたブッダは尊い存在だということを、この物語は伝えています。
お釈迦様の「人間くささ」
私はこのエピソードが大好きです。
なぜなら、お釈迦様の「人間くささ」がよく表れているからです。
悟りを開いたとはいえ、お釈迦様も人間です。「どうせ分かってもらえない」「説明するのは面倒だ」「一人で静かにしていたい」—そんな気持ちになることもあったのでしょう。
でも、それでも最終的には「教えよう」と決意してくれた。
だからこそ、私たちは2500年後の今も、お釈迦様の教えに触れることができるのです。
最初の説法はどこで、誰に対して行われたのか。
自分を「裏切り者」と呼んで去っていった5人の仲間と、どう再会したのか。
このドラマチックな続きは、次回の第4回でお話しします。
今週の宿題:お釈迦様の「空腹」を体験する
さて、記事の最後は恒例の「今週の宿題」です。
今回はお釈迦様が過酷な断食を経て、スジャータの乳粥のありがたさに気づいた回でした。
そこで、今週の宿題はこれです。
「今週、どこか一食だけでいいから、あえて『食事を抜いてみる』こと」
一食抜くだけでいい
「ええっ!一食抜くの?お腹空いちゃう!」
そう思いますよね。
でも、お釈迦様がやった「1日にゴマ一粒」に比べれば、一食抜くくらいはどうってことないはずです。
朝食を抜いてもいいし、昼食を軽くするだけでもいい。無理のない範囲で試してみてください。
この宿題の目的—「感覚を研ぎ澄ます」
この宿題の目的は、単に我慢することではありません。
あえて空腹の状態を作ることで、自分の中の「感覚」を研ぎ澄ませてほしいのです。
普段、私たちは「時間が来たから食べる」「なんとなく口寂しいから食べる」ということが多いですよね。
でも、一食抜いて本当にお腹が空いた状態で、次の一口を食べる時を想像してみてください。
その時—
食べ物の香りが、いつもより豊かに感じられるはずです。
喉を通る感覚が、いつもより鮮明に感じられるはずです。
「命をいただいている」という実感が、いつもより強く湧いてくるはずです。
それが、お釈迦様がスジャータの乳粥を飲んだ時の「細胞が生き返る感覚」の、ささやかな擬似体験になるのです。
「当たり前」への感謝
お腹が空いた時に、こう感じてみてください。
「あ、今、自分は生きているんだな」
「食べ物があるって、当たり前じゃないんだな」
「2500年前、スジャータがそばにいてくれたから、お釈迦様は悟りを開けたんだな」
「今日、自分の食卓に食べ物があるのも、たくさんの人のおかげなんだな」
そう気づくことができれば、それが立派な修行になります。
継続のコツ
無理はしなくて大丈夫です。
一食抜いた後に食べる食事が、どんな味だったか。どんな発見があったか。
ぜひ心に留めておいてください。
そして、可能であれば、その体験を誰かに話してみてください。話すことで、気づきがより深まります。
皆さんの「空腹の気づき」を楽しみにしています。
まとめ—6年間の苦行が教えてくれること
今回の記事では、お釈迦様の壮絶な6年間の苦行と、そこからの覚醒についてお話ししました。
長い記事でしたので、最後にポイントを整理しておきましょう。
① 二人の瞑想のマスターに師事した
アーラーラ・カーラーマから「無所有処」を、ウッダカ・ラーマプッタから「非想非非想処」を学んだ。どちらも短期間でマスターしたが、「一時的な安らぎ」では満足できず、去っていった。
② 6年間の壮絶な苦行に挑んだ
止息行(呼吸を止める)、断食(ほぼ何も食べない)、五火行(五つの火に挟まれる)など、現代では事件レベルの過酷な修行を続けた。体はミイラのように痩せ細った。
③「苦行では悟れない」と気づいた
倒れて死の淵をさまよった時、「これ以上の苦行をしても真理は見えない。やり方が間違っている」と気づいた。自分の失敗を認める勇気を持っていた。
④ スジャータの乳粥で「中道」を発見した
極端な贅沢も極端な苦行も、どちらも悟りには繋がらない。楽器の弦のように、ちょうどよいバランスを保つことが大切だと気づいた。
⑤ 悪魔マーラとの心理戦に勝利した
欲望の誘惑、恐怖の威嚇、存在の否定—三つの攻撃を、慈悲と決意で退けた。大地に触れる「降魔印」で、悪魔を消滅させた。
⑥ 12月8日、明けの明星を見て悟りを開いた
35歳で「縁起」の真理を悟り、人類初の「ブッダ(目覚めた人)」となった。この日は「成道会」として今も祝われている。
⑦ 悟った直後は「教えるのは無理」と思った
梵天のお願いを受けて、最終的には教えを説く決意をした。この続きは次回で。
お釈迦様の物語は、「完璧な聖人の話」ではありません。
試行錯誤し、間違い、挫折し、それでも諦めずに真理を求め続けた、一人の人間の物語です。
だからこそ、2500年後の私たちの心にも響くのではないでしょうか。
「苦行では悟れない」—このシンプルな結論に至るまでに、お釈迦様は6年間という歳月を費やしました。
私たちは、お釈迦様のおかげで、同じ遠回りをしなくて済みます。極端な苦しみの中にではなく、日常生活の中で、バランスの取れた心のあり方を学ぶことができるのです。
それこそが、お釈迦様が私たちに残してくれた最大の贈り物かもしれません。
次回は、お釈迦様がどのようにして「教える決意」をしたのか、そして最初の説法はどのようなものだったのかをお話しします。
お楽しみに。
おわりに
この記事は、ポッドキャスト「今日からはじめる仏教一年生」の内容をもとに、経典や学術的な情報を加えて詳しく解説したものです。
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仏教は、決して「古くさいもの」「難しいもの」ではありません。
2500年の時を超えて、今を生きる私たちの心を楽にしてくれる「智慧の宝庫」です。
これからも一緒に、その宝物を掘り起こしていきましょう。
【訪問供養専門僧侶「恒純」】
真言宗僧侶として、皆さまの心に寄り添う供養をお届けしています。


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