二人の嘘つき修行者の話し【お釈迦さま物語】

【概要】
昔、お釈迦様の元で修業する者の中に二人の老いた修行者がいました。彼らはお互いの子供同士を騙して結婚させ、子供たちは幸せになります。
しかし、騙して幸せにすることに疑問を持つ人たちがお釈迦様に尋ねます。

目次

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「二人の嘘つき修行者」文字おこし

昔、お釈迦様がたくさんの人に教えを説いていた時のことです。あまり出来の良くない二人の老いた修行者がいました。
一人は結婚していましたが、妻と息子を残して出家しました。もう一人も結婚していたのですが、妻と娘を残して出家したのでした。

あるとき、妻と娘を捨てて出家した修行者は、昔を思い出し、妻と娘との生活が懐かしくなって捨てた家を訪れました。
家に着くと、もとの妻はその老いた修行者を罵倒し始めます。
「あんたが私たちを置いて家を出ていったせいで、私たちがどれだけ苦労したのかわかってんのか。あん たのせいで娘はいまだに結婚もできずにいるんだよ。今更帰ってきてなにさ。さっさと帰らないとしょうちしないよ!」

そう言われては返す言葉もありません。
老いた修行者はうつむいて帰っていきました。

一方、妻と息子を捨てたもう一人の修行者も、昔の生活が恋しくなり、同じように昔住んでいた家を訪れましたが、
やはり散々怒られて落ち込んで帰ってきました。

彼ら二人はまた、自分たちの修行道場に戻り、
孤独な修行僧としての生活を続けました。

少したってから、妻と娘を捨てた修行者が落ち込んでいる様子を、
もう一人の修行者が見て、心配して声をかけました。

「どうしてそんなに落ち込んでいるんだい?」
「いや、こんなことは言ってもしょうがないことだ」
「そんなこと言うもんじゃないよ。話すだけ話してみてくれよ。こうして一緒に修行しているんだ。仲間じゃないか。」

そこで、妻と娘を捨てた修行者は、
少しずつこれまでの話を語り出しました。

話を聞いた修行者は驚きました。
それは、自分の体験と全く同じでした。
そこで、妻と娘を捨てた修行者に
こんな風に声を掛けます。

「ではこうしたらどうだろう。あなたの娘と私の息子を結婚させるんです。そうすれば、子供たちも幸せになり、元妻の機嫌も良くなるんじゃないか」

「それはいい考えだ」

二人はその考えに同意して、
早速翌日、もう一度、それぞれ昔の家を訪れました。

娘を捨てた修行者は妻に向かってこう言います。
「私は娘のために、結婚相手を見つけてきたんだ」

妻は驚いていいます。
「一体どこの生まれの息子さんなの?」

修行者は適当な名前を言って、
いいところの息子だと答えました。

妻も娘もこれを聞いてとても喜びました。

息子を捨てた方の老いた修行者も、
同じように昔の家に戻り、こういいます。

「今日は息子のために結婚相手を見つけてきた。」

こちらの妻も同じように尋ねます。
「一体どこの生まれの娘さんなの?」

こちらの修行者もまた、
適当なことを言って、
妻と息子を喜ばせます。

お互いの妻と子供は、
早速結婚式の準備を始め、吉日を選んで式が行われました。

この事があってから、
老いた修行者二人はますます仲良くなり、
道場で共に生活を送っていきます。

さて、この話を聞いた周りの修行者は、
これが良いことなのか悪いことなのか分からず、
お釈迦様に尋ねます。

「お釈迦様、あの二人の老いた修行者の子供達は結婚できて幸せになったかもしれませんが、お互いを騙すような形で結び合わせて、修行者としてそのようで良いのでしょうか」

お釈迦様は答えます。

「あの二人の老いた修行者は、今回ばかりではなく、前世からずっと同じような事を繰り返しているのだ」
そう言って、彼らの過去生の話を聞かせてくれました。

昔、波羅奈国というところに、どれだけ煮ても煮えない豆を売っている男がいた。そんな豆だから誰も買い手がつかない。するとある時、彼の隣に、ロバを売る男がやってきた。豆を売っていた男は、隣の男は何も知らないと思い、自分の持っている豆と相手の持っているロバを交換してくれないかと申し出た。

「どうだい、私の持っているこのたくさんの豆と、あなたのロバを交換しませんか?」

ロバを持っていた男は、その申し出を受け入れた。
豆を持っていた男は煮えない豆をロバと交換出来て喜んだ。
そして浮かれて歌い出す。

「16年も火にかけて、煮えない豆は、お前の歯をみな折っちまうだろう。」

これを聞いた男はやり返した。

「商売上手は俺様だ。毛並みはいいが、荷物を一つでも担がせると、針で刺しても動ぬロバだ」

そんなやりとりが続いた後、
豆を持っていた男は、
今度はロバを脅し始めます。

「やい、もしお前が荷物を持って動かないというのなら、その尻尾を切ってしまうぞ」

これを聞いてロバは答えます。
「切られるのならばしょうがない。その時はただ死ぬのみです」

男は、このロバは脅してもダメだと思い、
今度はおだててやろうと考た。

「おい、ロバよ、私はお前に可愛い牝ロバを妻にもらいたいと思っている。一緒に探しに行こうじゃないか」

これを聞いたらロバは、急に元気よく立ち上がり、こう言いった。

「急に元気が出てきました。さあ、どこまででも行きましょう」

※※※

この時、豆を売っていた男と、ロバを売っていた男が、
あの老いた二人の修行者の前世である。
この時のロバというのが、老いた修行者の子供である。

この時から彼らは、
互いを騙し合って、最後に少し喜び楽しんでいるのである。

騙し合うというところがなければ、
めでたい話で終わるものを、
何とももったいないことである。

そんな話を聞かせてくれました。

※本テキストは音声から文字を起こしているため誤字なども多くあります。また、動画の音声とは必ずしも一致するものではありませんが、大切なポイントの振り返りに役立てて頂ければ幸いです。

最後にひとこと

お釈迦様の因縁話は面白いですよね。

今回は少し、考えさせられるものだったなぁと感じます。
確かに、結果がよければそれでいいんじゃないかと思ってしまいそうになりますが、やはりそれは正しい行いではないということですね。

お釈迦様がいう、正しい行いではないというのは、形式的に「やってはいけない」といっているのではなく、それをするとこれこれこういう理由でそれをしてはいけないというように、ちゃんと理由があります。

今は、「これはダメ」というルールばかりが残って、なぜお釈迦様がそれを禁止したのかという具体的な話はあまり聞きません。
ですので、こういう説話を通して、お釈迦様がなにを考えていたのかを一緒に考えていっていただければよいなと思います。

例えば、私たちはカウンセリングもしていますので、たくさんの方から相談を受けます。しかし、相談を受ける私たち自身が相談者さんと同じ問題を抱え、悩んでいるとしたらどうでしょうか。例えば、パートナーと上手くいっていないのに恋愛の相談を受けたり、仕事が上手くいっていないのに仕事の相談を受けたり、人付き合いが苦手なのに、対人関係の相談を受けたりしてアドバイスをしていたらどうでしょうか。


もちろん、なかにはそのアドバイスのおかげで上手くいく人もいるはずです。しかし、それでは、今回のお話の老いた修行者と変わらなくなってしまいます。

私たち自身が最愛のパートナーにも出会い、仕事も上手くいっているからこそ、人の恋愛や人生相談に乗れるということがあります。

これは一例ですが、そのように、私たちの身近には、結果は良くてもプロセスが褒められないということがたくさんあります。

そういうプロセスを正しいものにしていくことを、今回の話を通してお釈迦様は教えてくれようとしています。

ということで、今回はここまでです。また次回のお話でお会いしましょう!

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