【概要】 お釈迦様の弟子の中にゼンセイという男がいました。お釈迦様は機に応じてゼンセイを教え諭しますが、まったく聞き入れません。
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「お釈迦様でも改心させられなかった男の話し」文字おこし
お釈迦様の弟子の中は、
ゼンセイという男がいました。
しかしこの男が、
どうにも救いようのない男でした。
ある時お釈迦様は、
帝釈天のために説法していました。
この帝釈天というのは、
柴又の帝釈天と同じ神様です。
ゼンセイは、
そんなありがたいお釈迦様の教えも、
ただ、長くて退屈な話しだと思って聞いていました。
そして彼は、
あろうことかこんなことを言います。
「世尊よ、早く帰らないと鬼がやってきて食べられてしまいますよ」
それは、遅くまで遊んでいる子供に、
親がよく使う幼稚な脅し文句です。
お釈迦様は言います。
「何を言うのか、たわけ者め。仏には恐れるものなどないというのがまだわからないのか」
ゼンセイの幼稚なたくらみは見事に失敗に終わりました。
このやり取りを見ていた帝釈天も驚きました。
そしてお釈迦様 に尋ねます。
「世尊よ、ゼンセイのような者でも、仏になることができるのでしょうか?救われることがあるのでしょうか?」
お釈迦様は答えます。
「帝釈天よ、どんな人であれ人には皆、仏になることのできる性質があるのだ。ゼンセイのようなものであってもそれは変わらない。そのために、ゼンセイにしばしば説法をするけれども、いまだに理解する様子は見えない」
また別のある時は、
お釈迦様が訪れた街の人たちが、
お釈迦様が通られた足跡でも是非拝もうと、
その足跡を見ていると、
ゼンセイはそれを不快に思い、
お釈迦様の足跡を消して回ろうとしました。
もちろん、
仏様の足跡は、
ゼンセイのような者に消すことのできるものではありません。
しかし、それを見ていた町の人たちは、
嫌な気分になりました。
そして街の中に入る、
時を過ごしていると、
大酒を飲んでいる男を見つけます。
ゼンセイはお釈迦様に言います。
「世尊よ、この世の中に、アラカンという究極の悟りに達した人がいるとすれば、彼こそはアラカンでしょう。なぜならあの人は、善悪など考えないで乗り越えているのですから」
「このたわけ者め。おまえも修行者は酒を飲まないという戒律を知っているだろう。戒律の一つも守れずに、心と身体の貪りのままに振る舞うあの男がアラカンなわけがないではないか。あのとこは死ねば地獄に落ちるものだ。地獄にいる穴考えるわけがないではないか。」
ゼンセイは常にこのようであった。
また、こんなこともありました。
お釈迦様のいる王舎城という街には、
クトクという間違った教えを広める男がいました。
ゼンセイは言います。
「世尊よ、あのクトクという男こそ、本物のアラカンですね。なぜなら、あの男は、人はどんなに悪いことをしても、地獄に落ちることもなく、どんなに良いことをしても良い場所に生まれることもないと説きます。因縁なんてものは無いと説くのです。」
「たわけ者め、クトクは外道でありアラカンではない。彼は原因があれば結果があるというという道理を知らず、アラカンとはどういうものかさえも知らないのだ」
「世尊と、あなたは仏様なのになぜクトクという仏様に嫉妬心を起こすのでありましょう」
「たわけ者め、仏が仏に対して嫉妬心を起こすなんてことがあるか。俺はお前が勝手に作り出すん邪見である。
クトクはアラカンではない。、彼は今日から7日後、腹痛を患ってこの世を去ることになる。そして死ぬと同時に、鬼に生まれ変わるだろう。そして死体は、野山の中にうち捨てられるだろう。これこそは、彼がアラカンではない証拠である。」
内心でクトクを慕っていたゼンセイはこれを聞いて驚いた。
しかしそれでも、ゼンセイはお釈迦様の言うことが半信半疑でした。
そして、実際にクトクの所に赴き話をしに行きます。
「クトク長老よ、私は仏からこんなことを聞きました。そこでなんとしてもそのようなことにならぬように力を尽くしていただき、世尊をうそつきにしてやってください」
もともと外道のクトクはお釈迦様に対して良い印象を持っていませんでした。
しかも今回は、自分にとって屈辱的なことまで言っていると言います。
そこで、ゼンセイの思惑通りに、
言葉通りの運命にならないように、
努力を始めます。
病むのは腹痛だというのだから、
それは食べなければ生じないと考え、
7日の絶食を決意します。
しかし、外道にとって絶食は
なかなか耐え難いものであり、
6日目が終わり、
7日目の朝には黒蜜を食べました。
その後に冷たい水を飲んだところ、
腹痛を起こしてそのまま亡くなってしまいます。
そしてその死体は、
ただちに同学の者たちによって
野山に打ち捨てられます。
すると間もなく、その死体から、
一匹の鬼が生まれてきました。
ゼンセイはクトクの死を聞くとただちに
野山に駆け付けます。
そこで、見た鬼は
クトクの生まれ変わりだとすぐに気づきます。
ゼンセイは恐る恐るクトクの死体に声をかけます。
「長老よ、死んだのでありますか?」
「死んでしまった」
「なぜ死んだんですか?」
「ひどい腹痛にやられた」
「死体はどこへ持って行かれましたか」
「野山に打ち捨てられた」
「それで、何に生まれ変わりましたか?」
「鬼に生まれ変わってしまった」
クトクの死体は続けて話します。
「ゼンセイよ、仏の言葉はすべて真実である。私は今、自分がどれほど愚かだったかを知った。そして、仏がどれほど優れているかを悟った。ゼンセイよ、もしも仏の言葉を信じない者がいるならば、私と同じ運命を辿るものだと思わないか?ゼンセイよ、お前は今、自分の胸に手を当てて、考え直さなければいけない時は来ているのではないか」
このような事に出会い、
そのような話を聞いた後でもなお、
ゼンセイはお釈迦様を信じることはしませんでした。
ゼンセイはお釈迦様の元に戻り、
こんな風にことの次第を告げます。
「世尊よ、クトクは死にましたが、鬼に生まれることなく、天上界に生まれることができました。」
「たわけものめ、クトクが天上界に生まれることはないのだ」
ゼンセイの行いは常にそのようなものでした。
やがて彼は、仏に対するあらゆる悪心のために、
そのまま地獄へ落ちていってしまいました。
お釈迦様は弟子の迦葉に言います。
「迦葉よ、ゼンセイというものはせっかく仏法という計り知れない恩恵のある教えに触れていたのに、何の利益も得るところがなかった。それはゼンセイ自身の気まぐれな心と悪友のためにそうなったのである。迦葉よ、私は長い間ゼンセイに毛ほどの善根でもあればと探してきた。毛ほどの善根でもあれば彼は救われるからである。しかし結局、それすら見つけることができなかった。そのために私は、誰が地獄に落ちるの救うことができなかった。
私はそのことをかなり前から知っていたが、、それでも一緒に生活して、20年という歳月を共に過ごしてきた。それは、もし自分が見放して手放してしまえば、それを良いことに好き放題して、多くの人に害をもたらしてであろうからである。そのために、わざわざ私の近くに置いて、彼の行動を制限していたのである。」
お釈迦様でも改心させることのできなかった、
そんな男のお話でした。
※本テキストは音声から文字を起こしているため誤字なども多くあります。また、動画の音声とは必ずしも一致するものではありませんが、大切なポイントの振り返りに役立てて頂ければ幸いです。
最後にひとこと
お釈迦様や仏様というのは、
どこか神格化されていて、
完全無欠な感じがしますが、
本当はそんなことありません。
でもだからこそ、
宗教としての仏教ではなく、
人としてのお釈迦様に惹かれるのです。
宗教に関連した事件がたくさんあるので、
知らない人から見ると仏教というのも、
神秘的で、時には怖いものに見えたりしますが、
本当はそんなことなくて、
どんな人にも役に立つ、
生きる知恵に満ち溢れています。
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