こんにちは。
耳で会えるお坊さんラジオ、
「恒純の心参り」第一回目です。
この放送では、仏教の教えを
私たちの生活にもっともっと活かすために、
現代社会の中で仏教をどう捉え、
どう生きる知恵として取り入れていけるのか、
そんなお話をしていきたいと思います。
といっても、
堅苦しくならないように、
気楽に語っていけたらと思っています。
では早速、第一回目はひとつ、
ある物語から始めましょう。
–––––––––––
時は鎌倉時代末から南北朝、そして室町初期へと移りゆく混乱の時代。
朝廷と幕府、南朝と北朝のあいだで国は長きにわたって分裂し、各地で戦が絶えませんでした。
山は焼かれ、田畑は荒れ、人々は住まいを捨て、
「今を生き延びること」が唯一の祈りとなる時代。
昨日まで家族だった者が、今日は敵味方に分かれて血を流す。
誰が正しく、誰が間違っているのかすら、もう誰にもわからない――。
そんな戦乱のさなか、九州の筑前・刈萱庄という場所に
加藤左衛門繁氏(かとうざえもん・しげうじ)という武士がいました。
今の福岡県福岡市あたりです。
彼は松浦党(まつらとう)という水軍の武士団の頭領でした。
松浦党は、蒙古襲来の際にも活躍した、由緒ある武家集団です。
繁氏は21歳の若さで、北の方と呼ばれる妻、
そして3歳になる娘・千代鶴姫とともに、何不自由ない暮らしをしていました。
しかし、日々の中で彼の心は安らぎません。
戦で命を落とした家臣たち。
個人的な恨みもないまま、自らの手で討たねばならなかった敵の武士たち。
そうした死者たちを思うと、心は痛み、決して休まりませんでした。
そんなある春の日、穏やかな陽気のもと、
松浦党の者たちが集まり、城の中で花見が催されました。
繁氏が杯を手にし、酒を口に運ぼうとしたそのとき、
桜の花びらがひらりと舞い落ちて、杯の中に入りました。
その瞬間、繁氏はふと思います。
「人の命もまた、この桜の花びらのように、
いつ散るか分からぬ儚いものなのだ」と。
その思いが胸に満ちたその場で、彼は突然立ち上がり、
家臣たちに向かってこう言い放ちます。
「皆の者、聞いてくれ。
私はこれより出家し、仏門に入ることを決めた。
これは深く考え抜いた末の答えだ。どうか止めないでほしい」
驚いた家臣たちは、すぐさま北の方にそのことを伝えに走ります。
北の方は話を聞き、娘の千代鶴姫を抱いて、ただおろおろするばかりでした。
夫が戻ってきて話をしても、彼の決心は変わりません。
北の方は懇願します。
「私のお腹には、すでに七ヶ月半になる殿のお子がおります。
せめてこの子が無事に生まれるまでは、どうか待ってください。
その後なら、この子を託して私も共に出家いたします」
繁氏は「そうか、それならば」と頷き、一度は出産を待つことにします。
しかしその夜、彼の心は大きく揺れます。
「もし生まれた子の顔を見てしまったら、
この決意が揺らいでしまうかもしれない……」
そしてその夜、彼は髪を一束切り取り、
一通の手紙とともに残して、家を後にします。
手紙には、妻への謝罪と、
「もしこの子が男の子であれば“石童丸”と名付け、
やがては出家させてほしい」と綴られていました。
こうして繁氏は旅立ち、京都にいる法然上人を訪ねるのです。
京都にたどり着いた繁氏は、
浄土宗の開祖・法然上人のもとを訪ね、出家を願い出ます。
しかし、21歳という若さを見た法然上人は、
その決意が本物かどうかを慎重に見極めようとしました。
繁氏は諦めず、寺の門前で10日間もの断食を続けます。
その姿を見て、法然上人はついに彼の覚悟を認めました。
「あなたの思い、よくわかりました。
本気で仏に仕えたいと願うなら、
親兄弟も、妻も子も、すべての縁を断ち、
たとえ誰が訪ねてきても、二度と俗世に戻らぬ覚悟が必要です。
それができるなら、出家を許しましょう」
繁氏はその言葉に深くうなずき、
出身地にちなんで「刈萱道心(かるかや どうしん)」と名を改め、出家しました。
やがて彼は、その誠実さと修行の熱心さによって、
法然上人の第一の弟子とまで称されるようになります。
そんなある日――
道心は夢を見ました。
夢の中に、妻と子どもが現れ、涙ながらにこう言ったのです。
「どうか一緒に帰ってください」と。
目覚めた道心は、この夢はただの夢ではないと直感しました。
「きっと、現実に妻子が私を訪ねてくる」
そう確信した道心は、法然上人に暇乞いし、
女人禁制の地・高野山へと向かいました。
そして、まもなくして――
夢で見た通り、妻・北の方と、あのときお腹にいた子どもが、
本当に道心を訪ねてきたのです。
子どもは無事に男の子として生まれ、
「石童丸(いしどうまる)」と名付けられ、もう13歳になっていました。
北の方と石童丸は、父を探して長い旅を続け、ようやく京都へとたどり着きます。
二人の苦労をねぎらいながら、法然上人はこう伝えます。
「あなたがたの訪ねる方――刈萱道心殿は、
あなたたちが来ることを夢で知り、
俗縁を断つためにここを発ち、高野山へ向かわれました」
北の方と石童丸は、急ぎ高野山へと向かいました。
けれど、女人禁制のため、母は山に入ることができません。
「石童丸よ。どうか父上に、私たちの思いを伝えておくれ。
きっとお前の顔を見れば、心が動くことでしょう。
もし2、3日たっても会えなければ、一度ここへ戻ってきてほしい」
そう言って、北の方は山のふもとの宿で待つことにします。
石童丸は一人で高野山へ登りました。
当時の高野山には、1万人近くの僧がいたとも言われています。
その中から、顔も知らぬ父を探し出すのは至難の業でした。
それでも石童丸は諦めず、6日間、7日間と捜し歩きます。
そして8日目――
ふとしたときに、ある一人の僧とすれ違いました。
なぜか強く心を惹かれた石童丸は、思わずその僧に声をかけます。
「まだ一度も会ったことのない父を探しているのです。
母は山のふもとで待っています。
どうか、力を貸していただけませんか」
その話を聞いた僧は、目に涙を浮かべます。
実はその僧こそ、石童丸の父・刈萱道心その人だったのです。
けれど、石童丸は気づきません。
優しく涙してくれる心ある僧だと、ただ感動するばかり。
そして、道心もまた、心の中で激しく揺れながら、
自分が父であることを名乗ることができません。
「今ここで名乗れば、どれほど幸せなことだろうか……
でも、それをしてしまえば、これまでの修行も、誓いも、
すべてが無に帰してしまう」
迷いに迷った道心は、ついに嘘をつきます。
「あなたの父上は、私の修行仲間でした。
けれど、昨年すでに亡くなり、今日が命日なのです。
今から、墓参りに行くところでした」
それを聞いた石童丸は、その場に泣き崩れます。
道心は石童丸をなだめ、母のもとへ戻るよう諭しました。
母の待つ宿へ戻った石童丸を待っていたのは、さらなる悲劇でした。
長旅の疲れと悲しみのあまり、北の方はすでに病に倒れ、亡くなっていたのです。
十三歳の少年が、たった一日で
父の「死」を知り(実際には生きている)、
母の死を目の当たりにするという――
なんと過酷な運命でしょうか。
その夜、石童丸は母の遺体のそばで、呆然としながら一夜を過ごしたといいます。
それでも翌朝、武士の子として気を奮い立たせ、
あの僧(刈萱道心)のもとを訪れ、母の死を報告します。
「どうか、母のためにお経をあげていただけませんか。
一緒にふもとまで来てください」
道心は、胸が張り裂けそうな思いでこれを聞き入れます。
自分のせいで、家を出たことで、妻がこんな最期を迎えてしまった――
その思いに、彼の心は押しつぶされそうでした。
葬儀のあと、誰もいないところで、
道心は妻の亡骸にすがって号泣したと伝えられています。
その後、石童丸に母の遺品を持たせ、
姉・千代鶴姫の待つ故郷へと送り出します。
しかし――
石童丸を待っていたのは、またしても悲しい知らせでした。
姉の千代鶴姫も、病にかかって亡くなっていたのです。
天涯孤独となった石童丸は、
「頼れるのは、あの僧しかいない」と、再び高野山へ戻ります。
姉までもが亡くなったことを聞かされた刈萱道心は、
深く心を痛めます。
「もし自分が出家していなければ、こんな悲しみは起きなかったのではないか……」
そう思わずにはいられませんでした。
そして彼は決意します。
「石童丸よ。かくなるうえは、お前もここで出家をして、
父母と姉の供養を続けるがよい。
もし望むなら、私がその頭を剃ってあげよう」
こうして、道心と石童丸は師弟として結ばれ、
しばらくは穏やかに、幸せに暮らすようになります。
しかし年月が経つにつれ、石童丸の顔が父に似てくるのを見て、
道心はある不安を抱くようになります。
「このままでは、やがて自分が父であることに気づかれてしまう――」
そしてついに、別れを告げる決意をします。
「私はこれから、信州・善光寺へ向かい、修行を続けるつもりだ。
わずかばかりの間だったが、お前と暮らせて幸せだった。
もう二度と会うことはないだろう。
ただし、もし北の空に紫の雲が立ったなら、私が死んだと思ってほしい。
逆に、西の空に紫の雲が立ったなら、お前が亡くなったのだと私は受け取る」
そう言い残して、刈萱道心は高野山を旅立ちました。
それから数十年。
道心は善光寺で修行を続け、
83歳の8月15日正午ごろ、静かに息を引き取ります。
そして同じ時刻――
高野山にいた石童丸も、63歳で亡くなったのです。
その日、北の空と西の空に、それぞれ紫の雲が立ち、
やがて雲はふたつからひとつに溶け合い、
空の彼方へと消えていったと伝えられています。
–––––––––––
このお話には、たくさんの読みどころがあります。
けれど今日は、初回放送として、
皆さんと一緒に考えてみたい問いがあります。
それは――
「なぜ、そこまでして仏道修行をするのか」 ということ。
この物語には、修行への覚悟や、自分に対する厳しさが描かれています。
しかし見方によっては、
仏道修行によって、大切な人たちが傷ついているようにも見えるかもしれません。
今の時代では、こうした厳しさは受け入れにくい。
この美しい話も、もしかすると
“仏門ハラスメント”と揶揄されることすらあるかもしれません。
けれど、仏道とは――
それでもなお、人が命を懸けてでも追い求めるに値する道なのです。
なぜ今、仏教を学ぶのか?
仏教の考え方を、私たちはどう生活に活かすことができるのか?
この物語は、そんな問いの出発点になると思います。
だからこそ、
この物語は「恒純の心参り」第一回にふさわしいお話だと、私は思うのです。
さあ、これから一緒に、
仏教の教えがなぜこれほど人の心を惹きつけるのか――
ゆっくり、じっくり学んでいきましょう。
コメント